続・きせきみるもの

原稿12・絶望・暴かれた過去・恐怖
〜二人の鬼教官と二人の天使〜

 とある高校に卒業アルバムの製作スタッフとしてやってきた、伏見清隆と鳥羽光良。
 着任早々、総合格闘技・エクストリームのチャンピオン来栖川綾香、空手部のエース坂下好恵、そしてエクストリームに憧れる一年生、松原葵が挑戦してくるが、全員を軽々と退ける。
 実は、彼らは外国の軍隊で教官を務めていた元・エリート軍人だったのだ。
 だがまだ、それを学校の誰も知らない。
 たちまち人気者になる彼らだが、それから校内、校外で、物事の歯車が微妙に狂い始める。
 格闘技同好会を解散するという葵。
 空手部を去ろうとする好恵。
 無気力になってしまった綾香。
 その時伏見と鳥羽は、葵と好恵に言った。
「やめるのはいいが、未練は断ち切った方がいい」
「そのために、俺たちと試合をしないか」
 再び闘志を燃やす葵と好恵。
 そして、綾香が…!

 そんな、そんなバカな…そんなバカなことが…嘘だ、夢なら覚めてくれ…
 浩之が、葵が、好恵が、そう願わずにいられなかった。
 しかし、頬をつねろうが叩こうが、決して目が覚めることはない。
 現実だ。現実なのだ。
 来栖川綾香…名を知らぬ者がいないほどの格闘技界の若きスーパースターが、チャンピオンが、ただの一撃も当てることができないのだ。
 全身全霊をこめた拳をかわされ、空を切り裂く脚をよけられ、防がれた。
 後ろ回し蹴りを軽く横にかわされてよろけた。体勢を立て直そうとして失敗し、無様に尻餅を付いた。
 その時、かすかに客席から嘲笑が漏れた。
 …奴は…奴は一体…何者なの!?
 奴…伏見は、息一つ切らせていない。全くの無表情のまま、綾香を見下ろしている。
「あ、説明しなきゃいけなかったんだけど…」
 尻餅をついたままの綾香に向けて、伏見はしゃべり出した。
「この勝負はハンデつきでね。俺と鳥羽は一切攻撃しないルールなんだ。防ぐかかわすだけ。一撃でもヒットしたら、君たちの勝ち」
 …へえ、そんなハンデつきだったんだ。それを早く言ってくれればねえ…
 しかし、それだけのハンデをもらっておきながら、ただの一撃も当てられないのだ。もし、ハンデなしだったら前回同様、一瞬で沈められていたに違いない。

 …よーし、こうなったら…
 綾香は立ち上がるや否や、目にも止まらぬ拳の連打を豪雨のように伏見に叩き付ける。
 そして拳の雨は一つ残らず、伏見の両腕のカーテンに阻まれる。
「ストップ、それまで!」
 時間切れを告げる審判の声がかかっても、綾香は拳を止めない。
「やめろ、もう終わりだ!」
「綾香、やめなさい!」
「綾香さん!」
 浩之、好恵、葵がすかさず止めに入る。が、次の瞬間、綾香の拳を受けて三人とも吹き飛ばされてしまった。
 それでも懲りずに、三人は止めに入ろうとする。
 その時、それを制するように、今まで黙って見ていた鳥羽が綾香の方に向かって歩き出した。
「鳥羽さん…?」
 浩之の問いかけに答えず、鳥羽は綾香の背後に付いた。すぐに綾香はそれに気づいた。
「……くっ!!」
 振り向いて、拳で追い払おうと振りかぶった綾香の二の腕を、鳥羽は素早くつかんだ。
「……」
 鳥羽は相変わらず無表情のまま、綾香を見ている。がっちりつかんだその手を力で振り払うことは、おそらく不可能だろう。
 それを感じ取った綾香は腕の力を抜いた。降参の意志表示の代わりだ。
 鳥羽も力を抜き、つかんでいた手を離す。
 …今だ!!
 下半身ががら空きだ。
 そこへ向けて体勢を下げ、綾香は電光石火のタックルをしかける。レスリング技だ。
 レスリングはそんなに長い時間学んだわけではないが、他の格闘技同様、あっという間に一通りの技を覚えた。
 綾香のこれを受けて倒れない者はまずいない。これには鳥羽もよろめいた。今にもひざを付きそうだ。
 …よし、今度こそ………んんっ!?
 次の瞬間、綾香の首は鳥羽の脇の下に入っていた。
 …う、動けない!?
 右腕でがっちりと首を固定されている。人間業とは思えない(綾香にはそう思えた)力で。
 鳥羽はよろめいたように見えて、ヘッドロックの体勢に入っていたのだ。
 もがこうにももがけない。逃げようにも逃げられない。そうこうしている間に、次第に締めつける力は強くなる。
 目の前がかすんでくる。
 意識が遠のいていく。
 動悸が激しくなる…
 その時だ。
「試合、とっくに終わってるんだけど。わかる?」
 鳥羽の一本調子な声で、綾香は我に返った。しかし、それでも締めつける力は緩むことはない。
「わかるの?わからないの?どっち?」
 綾香はかすかに首を縦に振った。
 公式戦、非公式戦、練習も含めて、綾香の生まれて初めてのギブアップ宣言だった。
 それを確認した鳥羽は力を緩め、綾香を解放した。
「くはあ…はあ、はあ、はあ…」
 綾香の荒い息づかいは、しばらく止まなかった。
「綾香さん!大丈夫ですか?」
 うずくまったままの綾香に、葵が真っ先に駆け寄った。続いて浩之、好恵も駆け寄った。
「うん、大丈夫よ。それにしても、鳥羽さんって言ったわよね?あなたって…」
 言いながら、ゆらゆらと綾香は立ち上がった。
「すごいわね!悔しいけどあたしの完敗だわ。あたしからギブアップ奪うなんて。」
 全くの予想外の言葉が、綾香の口から飛び出した。
 悔しがるどころか、うれしそうに綾香は言う。
「あなたって、あたしと同じくいろいろ格闘技やってるみたいね。でも、大会は出てないんでしょ?出てたらとっく有名人になってるはずだしね。それにしても、それだけ強いのにもったいないわ〜」
 喜々としたその口調から、強がりは感じられなかった。いや、感じていた者が一人だけいた。
 浩之だ。
 なぜ強がりだとわかるのか。答えは簡単、綾香とは親友だからだ。
 好恵や葵よりも付き合っている期間はずっと短いにもかかわらず、二人よりも近い位置、それこそ芹香や家族を除いて1、2を争う近い位置にいる浩之だからわかるのだ。
「あたしのタックルに耐えたどころか、倒れそうに見せかけてヘッドロックに入るなんて、あなた以外には多分、伏見さんにしかできないんじゃないかしら。ねえ、良かったら今度スパーリング一緒にやらない?最近手応えのある相手がいなくて困ってたのよ」
 綾香はまくしたて続ける。それが強がりだとわかっていても、浩之は、ただ黙って見ているしかできない。
 敗れた綾香にとっては、それがプライドを守る精一杯の行為なのだ。
「あなたとならベストパートナー同士になれそうね。だいたい最近の男ってのは…」
 そのプライドを、浩之は守ってやりたかったのだが。
「うるさいよ!」
 鳥羽の厳しい声が、綾香の饒舌を制した。
 綾香は思わず口ごもる。
 ざわついていた場内がしんとなる。
「ゴチャゴチャ言わないでいいから。おしゃべりいらないから」
 有無を言わさぬ鳥羽の言葉に、さすがの綾香も戸惑った。 
 浩之や葵、好恵が相手なら、正論、屁理屈を問わずゴチャゴチャ言った者勝ちだったのに。
「悪いけど、失礼にもほどがあるんじゃない?あんな体たらくで俺たちとスパーリングだって?大人をなめるんじゃないよ」
「くっ…!」
 綾香は激しい反感を持ったが、明らかに鳥羽が正しいので反論ができない。
「それじゃ、俺たちはこれで」
 それだけ言うと、鳥羽、そして伏見は綾香たちの方を見ようともせずに出ていった。
 まるで、散歩帰りのように悠然とした二人の姿だった。
 ドアが閉まった後、しばらくあたりはしんとしていたが、
「セバス、帰るわよ。帰ったらすぐ練習始めるから準備お願いね。あと、セリオが帰って来たら呼んで」
 綾香が一番に口を開いた。
 先ほどの険しい表情は消え、冷静な表情に戻っていた。
「はい、承知いたしました」
 指示を出した綾香に、長瀬は神妙な表情で返事をする。
 まるで、『そうおっしゃると思っておりました』とでも言いたいかのように。
「あ、待って下さい!私たちと一緒に練習しませんか?みんなでやった方が…」
「葵、悪いけど今日は力になれそうにないわ。自分のことで手一杯で。そういうわけで、浩之。葵のことお願いね」
「ああ、わかった」
 葵には悪いが、自分でさえあのざまだったのに、ましてや葵は…そんな者と一緒にやったところで、自分の足を引っ張るだけだ。
 それなら一人でやった方が、よっぽどましだ…と、そこまでは言わなかったが、自分のことだけで手一杯、アドバイスしてやる余裕がないのは本当だ。
 綾香が長瀬とともにそそくさと出ていったあと、葵と浩之も出ていった。その後にあかり、志保も続いた。
 それを見届け、好恵は黙々と練習を始めるのだった。

 それから数時間がたち、日は既に傾いていた。
 学校の裏山の神社には、街灯はおろか照明になるものは一切ない。
 そのため、暗くなったらそこで格闘技同好会の練習は終了となる。
「じゃあ、このくらいで上がろうか」
「はい」
 浩之と葵はうなずきあった後、後片付けを始めた。見に来ていたあかりも一緒だ。
「どうした、葵ちゃん。今日はあまり調子良くなかったな」
 片付けながら、浩之が聞いた。
「す、すみません」
「別に謝ることないだろ。…ひょっとして、伏見さんと鳥羽さん、か?」
「…」
 葵は答えない。それが何よりの回答だった。
 その口をつぐんでいる表情は、心なしか脅えているように見える。あの試合の記憶が蘇ってきたのだろう。
「大丈夫だって。まだチャンスは三回もあるんだからさ」
「はい…でも」
「でも?」
「伏見さんも鳥羽さんも、あまりに強すぎます。私なんかが、勝てる相手じゃありません」
「え!?」
 浩之は驚いて声を上げた。
 葵が弱音を吐いたこと、それ自体に驚いたのではない。それなら、軽い重いを問わず何度も聞いている。
 だが、こんな形の弱音は初めてだった。
 自分に自信がないから吐く弱音ではなく、相手を恐れて吐く弱音。
 葵が、明らかに相手に脅えている。
 だが、どちらにしても良くない徴候なのは確かだ。
「葵ちゃん!!」
「っ!!」
 浩之は葵の両頬を手で挟んだ。
 葵はびくりとなる。その有様を、横であかりは唖然として見ている。
「葵ちゃん、しっかりしろ!今までやってきたことを、全力で出しきればいいんだ。あの人たちだって神様じゃない、人間なんだ。たった一発、当てられないわけがない!」
 浩之は、努めて明るく激励した。
「いつか言ったはずだよな。この俺が断言してやる。葵ちゃんは強い!葵ちゃんは強い!葵ちゃんは強い!葵ちゃんは強い!」
 以前に使ったのと同じ言葉で、浩之は葵を励ました。そして、とどめの一発。
「葵ちゃんは、絶対に強ーーーいっ!!」
 その絶叫を、葵は終始唖然としたまま聞いていた。
「…どう?自信湧いてきただろ?」
「…は、はい!」
 浩之の問いに、葵は気丈に答えた。その瞳に、幾分光が戻ってきた。
 やっぱり葵ちゃん、自信をなくしかけても大丈夫な子なんだな。そうだ、俺がいれば葵ちゃんは大丈夫なんだ、と浩之は自負にも近い気持ちを抱いていた。
 だが…その自負は、うぬぼれに過ぎないのかもしれない。
 葵の心に残った迷いは、以前の使い回しの言葉だけでは到底消し去れるものではなかった…。 

 
 時計の針はすでに9時を回ろうとしていた。
 だが、綾香は疲れを知ることなく特訓を続けている。
 そう、部屋に閉じこもりっぱなしで生じたブランクを取り戻すために。
 格闘家としてのプライドのために。
 そして、あの忌わしき屈辱を晴らすために。
「せいっ!!はあっ!!はああっ!!」
 ドスッ!!ドムッ!!バムッ!!
 破裂音、衝撃音がジム内に響く。
 ここは綾香専用のトレーニングジムだ。小学校の体育館程度の広さはゆうにある。
 その中にはあちこちから取り寄せた、トレーニング用のマシンが一揃いしている。サンドバッグも数本ぶら下がっている。
 普段はこれだけの広さのジムを一人で使っているのだが、時々大学生やプロの格闘家が出稽古にやってくる。それでも十分おつりがくるほどの広さなのだ。
「ふうっ…」
 綾香はサンドバッグを叩いていた手を止め、そばにあったタオルを取った。
「失礼いたします。よろしいでしょうか…」
 後ろから控えめな声がした。
 練習中で気が立っているであろう綾香を刺激しないための配慮が、声に現れている。
「うん?セリオ…」
 返事を返した綾香は、別に気が立ってはいないようだ。
「こちらをどうぞ…」
 セリオは綾香にスポーツドリンクを手渡した。
「ありがと」
「あと…言いつかっておりました、あの件でございますが…」
「あの件…わかったの?あいつらの…」
「はい。こちらでございます」
 綾香は、セリオの手から二枚の紙を受け取った。
 その紙には、セリオに命じて調べさせた事項が記されている。
「どれどれ…伏見清隆…」

 …18歳。東京大学文科一類に入学し、そこで鳥羽光良と出会う。
 20歳。鳥羽と共に二年次で中退、米国陸軍に入隊。一か月で早くも頭角を現し、Special Training Center(陸軍合同特別訓練隊)に入隊。訓練期間中に参戦したゲリラ・テロリストとの戦いで多数の武勲を上げ、1年後に伍長の階級を受け、準教官となる。
 22歳。STCの訓練期間満了に伴い、少尉に昇進する。
 以後、STCで教官を務めたあと、アメリカを始め、ドイツ、フランス、オーストラリアなど、各国の陸軍で教官を務める。
 24歳。除隊。最終階級は准佐。事実上は大尉だが、これまでの功績を讃え退役に伴い特別昇進。まもなく帰国する。
 帰国後、東大通信課程に再入学し、現在在学中。
 フリーライターの仕事を始め、現在に至る。

 読みながら、綾香は冷や汗が全身から吹き出してくるのを感じていた。
 手が、かすかに震えている。
 足がすくみそうになるが、ぐっと耐えてさらに読み続ける。

 …曾祖父は曹洞宗永平寺派副管長、伏見清詔(せいしょう)。政財界で活躍する人物で、曾祖父に教えを受けた者は数多い。来栖川グループの総帥…

 そこまで読んで、綾香は息を飲んだ。
「お、おじい様が!?」
 その先には、自分の祖父の名前が記されている。
 祖父の師匠が、あの男の曾祖父だというのか?
 何よりも目上目下、そして恩義を重んじる祖父の性格からして、師である伏見清詔と同じようにあの男…伏見清隆のことを扱うはずだ。
 つまるところ、伏見は祖父よりも偉いということになる。 
 信じられない…自分の祖父に、日本を代表する財閥の総帥に、頭が上がらない人物がいるなんて。
 それも、祖父から見たらそれこそ年端もいかない若造だなんて。
「…しかし、奇妙なのです。伏見様の戦闘能力に関するデータが、全くないのです。これまで身に付けた格闘術、戦闘技術のデータが、いくら検索をかけても見つからないのです。鳥羽様に関するデータも調べましたが、同じことでした」
 セリオの報告を、綾香は上の空で聞いていた。
 …STCの、元・教官…
 地獄の訓練を乗り越えた、格闘技と学問のエキスパート。
 できることなら一度、その隊員や経験者と手合わせをしてみたいと思ってもいた。
 どれだけ強いのだろうか、自分ならまずまずのいい勝負ができるだろう。いや、ちょっと苦戦は免れないかな、くらいの軽い気持ちで。
 でも、まさかあの男が…STCの元・教官だったとは。
 願いははからずも叶えられたわけだが、そのSTCの人間が、これほどの強さだということを身を持って知ることになろうとは。
 予想を遥かに超えたあの強さ。
 自分や好恵、葵など、伏見や鳥羽から見れば赤ん坊同然、いやアリ同然だ。
 アリと象の戦い。
 勝ち負け以前の問題だ。
 この自分に、そして来栖川家に、金や力を持ってしても太刀打ちできない人間がいる。その事実が、綾香の心を侵食していく。
 そして、格闘家として、いや生まれて初めての感情が湧いてきた。 
 ある特定の人間に対する、恐怖。絶望。
 上には上があるとは言うが、まさか自分より上がいるとは。
 突き付けられた残酷な現実の前に、闘志が萎えそうになる。
 それでも、
「…わかった、ご苦労さん。下がってていいわ」
 綾香はその感情を振り払うべく、拳を強く握りしめた。
「はい。失礼いたします」
 セリオは一礼してジムから出ていった。
 それを見届けた綾香のハイキックが、大きく空を裂いた。
「せいっ!!」
 ドスッ!
 続いて、ローキックからのパンチと、二連コンボが決まる。
 バッ!バムッ!
 再び、サンドバッグから破裂音、衝撃音が発せられる。
 だが、その音が先ほどより1オクターブほど上がっていたのに気づく者はいなかった。
 力が入っていればいるほど、サンドバッグから発せられる音のオクターブは下がり、より重低音となる。
 と、いうことは…。

 翌日の昼休み。
 職員室前で、伏見が教師と話している。
 取材する件についての問い合わせだ。
「はい、わかりました。ありがとうございました」
 伏見は一礼して、歩き出した。
 そのとき、伏見が肩から下げていたバッグの横ポケットから、一枚の紙切れが落ちた。
 それに気づいた女子生徒が、伏見に後ろから声をかけた。
「あの…落としましたよ」
 伏見が振り向くと、シャギーの入ったロングヘアの女子生徒が立っていた。
 一年生の姫川琴音だ。
 琴音は落ちたままの紙切れを拾い上げた。その紙切れに、何気なく目をやってみる。
 …これは伏見さんと鳥羽さんと……わぁ、きれいな人たち…
 それは、伏見と鳥羽、それに女性二人の上半身が写った写真だった。
 伏見の横の、ストレートの長い金髪に蒼い瞳の女性。
 鳥羽の横の、亜麻色のボブヘアに鳶色の瞳の女性。
 どうやら、二人は外国人のようだ。
 海よりも、空よりも透き通るような瞳、天使のような優しい微笑を浮かべている写真の女性たちに、琴音は見とれていた。
 …この人たちって…伏見さんと鳥羽さんの…
 琴音は頬を染めて写真の女性たちを見ている。
「どうもありがとうね」
 その女性たちに見とれていた琴音は、伏見の声で我に返った。
「え、あ、ああ…ご、ごめんなさい」
 どもりながら、あわてて写真を伏見に返した。 
「ありがとう」
 伏見は微笑んで礼を言った。
「あの…失礼ですけど…」
「ん?なあに?」
 行こうとした伏見を、琴音はためらいがちに呼び止めた。
 それからさらにためらった後、思いきって口を開いた。
「あの……この人たちは…伏見さんと鳥羽さんの……その………彼女さん…ですか?」
 伏見、そして鳥羽の強さは、既に全校生徒の知るところであり、もちろん琴音も知っている。
 だからといって怖いのではなく、プライベートに立ち入ったことを聞くのでためらったのだ。
「そうだよ」
 伏見が答えた途端、
「ええーっ!!」
 周りからどよめきが起こった。それと前後して、女子生徒たちが群がってくる。

「わーっ、すごい美人ですね!」
「見せて見せて!」
「あーん、見えないよー!」
 あたりはちょっとしたパニック状態だ。
 さながら、マスコミに囲まれた芸能人の様相になっている。
「こっちの彼女が、ジェニファー。ジェニファー・マッケンローって言うんだ」
 伏見がみんなに写真を見えるようにして、写真の中の自分の横にいる女性を紹介した。
「こっちが、エレナ。エレナ・ヘンダーソン」
 続いて、鳥羽の横にいる女性を紹介した。
 それと前後して、生徒たちからの質問攻めが始まる。
「ジェニファーさんとは、どこで知り合ったんですか?」
「もう二人は、どこまでいってる関係なんですか?」
「結婚は考えてるんですか?」
 そんなありきたりな質問が続いた後、
「実はもう、同棲してたりして?」
「…!」
 一瞬、伏見の表情に曇りが現れた。
 だがそれは本当に一瞬のことで、すぐにいつもの笑顔に戻ったので、誰も気づく者はいなかった。
「実は…彼女は外国にいてね。なかなか会えないんだ」
「へー、遠距離恋愛なんですね。どこにいるんですか?」
「いや、それはちょっと訳があって言えないんだ。ごめん」
 伏見の笑顔が、心なしか寂しそうになる。
 それを見た生徒たちは、質問攻めをやめた。伏見の言う通り、何か訳ありなのだろう。それを感じ取った生徒たちは、徐々に散っていった。
 まもなくしてチャイムが鳴り、廊下には誰もいなくなった。
 廊下に一人取り残された伏見は、写真に写った恋人を少しの間眺めていたが、
 …ジェニファー…
 その写真をそっとポケットにしまった。

 放課後になる頃には、もう校内でジェニファーとエレナのことを知らぬ者はいなくなっていた。
 どこのクラスでも、
「伏見さんと鳥羽さんに、彼女いるんだって」
「あ、それ知ってるよ。外人さんでしょ?写真見たけど、すごい美人だったよ」
 こんな感じだった。
「ジェニファーとエレナのこと、みんなに話しちゃったのか。俺もさっき、質問攻めにあってさ、何かと思ったら、お前から聞いたってさ」
 綾香、好恵、葵との三回目の『試合』に向かう道すがら、鳥羽が言った。
 困惑はしているが、怒った顔はしていない。
「ごめん、四人の写真を見られちゃってさ。それで…」
「ま、別に隠すことじゃないし、いいけど」
 一息ついて、鳥羽は続ける。
「…次のデートができるのは、いつのことかな……エレナ…」
 恋人の名をつぶやいた鳥羽、そして伏見の瞳は、そこにいない彼女を見つめているかのようだった。
 

 そして、『試合』の時がやってきた。
 観衆たちは皆、ジェニファーとエレナの話を知っているが、誰一人として伏見と鳥羽に冷やかしの声をかける者はいない。
 今日は長瀬に加えて、セリオも一緒に来ている。
 セコンドに加わったのだろうと、誰もさして気にはとめなかった。
「それでは、選手たちは整列して下さい」
 審判役の空手部員が号令をかけた。
 今回も前回同様、伏見対葵、鳥羽対好恵、そして伏見対綾香というカードだった。
「始め!!」
 葵、好恵は、果敢に伏見と鳥羽に挑んでいった。
 あらん限りの力、技を全て出した。
「葵ちゃん、がんばれー!!」
「先輩、ファイトー!!」
 浩之、あかり、志保、雅史、それに空手部員たちが声援を送る。
「葵ちゃん、がんばってー!」
「坂下さんもがんばれー!」
「ファイト、ファイト!!アオイ、ヨシエ!!」
 その横で、今日から応援に加わった琴音、理緒、レミィも懸命に声援を送る。芹香、マルチ、そして、委員長こと保科智子も観戦している。
 本人いわく、『別に興味はないが、暇だったから』と、相変わらず素直ではなかった。
 もうみんな、そんなことには慣れっこだったが。
 みんなの声援を一心に受け、葵は伏見に、好恵は鳥羽に立ち向かう。
 そして…。

「そこまで!!」
 審判が時間切れを告げた時、手とひざを付いていたのはまたも葵と好恵だった。
 またしても、伏見と鳥羽をの身体を捉えることができずじまいだった。
 しかし、それを目の当たりにしても物怖じすることなく、綾香は昨日と数日前、そして葵と好恵のリベンジマッチに挑んでいった。
 油断はもうなかった。
 もう昨日のような失敗は繰り返せない。
 一発を、ただ一発を当てればいいんだ…。
 蹴り技、打撃技、投げ技…そしてそれらを連続させた、いわゆるコンボ。
 素人目にも鮮やかとしか言いようのない、まさに技の展覧会。
 見事なものだった。
 観客は先ほど以上に、盛んに声援を送る。
 会場内のボルテージは最高潮に達した。
 そして…。

 …ば…ばかな…こんな…ばかな…
 それを全てかわされ、受け流され、防がれた。 
「全力を尽くしたつもりだろうけど、信じられないことにみんな、昨日より悪くなってる」
「気合いが入り切ってない。やるならもっと本気でやってほしい」
 淡々とした伏見と鳥羽の言葉が、針のように突き刺す。
 三人は返す言葉もなく、ただそれをだまって聞いていた。
 聞いていた…はずだったが。
「そんなに…」
「…?」
 いつものようにスイスイと出ていこうとした二人に向かって、綾香がつぶやいた。
 腹の奥底から絞り出すような、かつ憎しみのこもった声だった。
「そんなに、あたしたちのことをおもちゃ扱いして楽しい?軍隊の元教官のくせに、女の子をいじめて楽しい!?」
『何を今更言い出すんだ』と言われてもおかしくないが、誰も突っ込まない。
 伏見も鳥羽も、返答をしない。
「…ちょ、ちょっと待って!今、綾香、『軍隊の元教官のくせに』って言ったわよね!?どういうこと、それって!」
 我に返った好恵が、綾香に問いかけた。
 さっきの綾香の言葉に、ただならぬものを感じたのだ。
 どういうことだ、軍隊の元教官とは。
「…そうね、ホントのこと言うわ。この二人は…外国の軍隊で、教官をやってたのよ!」 
「えええーっ!?」
 場内が、悲鳴のような驚愕の声に包まれた。
「調べさせてもらったわ。東大を中退して、渡米して軍隊に入って、それからあのSTCで訓練したそうね。わずか四年弱で准佐になって、教官も務めたエリート軍人…そして今、東大の通信課程に在学中…それがこの二人よ」
 綾香が説明をしたあと、場内は水を打ったように静まり返っていた。
 外国の軍隊で、たった四年もしないうちに准佐に昇進した…東大生ということだけでもすごいのに、それがかすんでしまうほど物すごいことをやってのけた男たち…
 そんな男たちだということを、あの優しい笑顔から感じ取れる者はこれまでいなかった。
 いるわけがない。
 沈黙がしばらく続いたが、それを破るようにギャラリーの中から、
「ほ…ホントなんですか!?」
 声をかけたのは、浩之だった。
「伏見さん、鳥羽さん!綾香の言ったことは、ホントなんですか?軍隊で教官やってたってのは、ホントなんですか?」
「ああ、ホントだよ」
「俺たちは元軍人だ」
 伏見と鳥羽はさもあっさりと答えた。
 これで自分達の正体、というより過去が本格的にバレてしまったわけだが、二人は意に介する様子もない。
 ある者は呆然としたまま、ある者ははざわめくしかできない。
「じゃあ、俺たちはこれで」
 改めて出ていく二人は、この学校に来てから浴びたことのない視線を浴びていた。
 恐れの視線。
 それを感じ取れないほど二人は鈍くはない。
 でも後ろを振り返ることもなく、二人は行ってしまった。
「伏見さんと鳥羽さんが…STOかSOSか知らないけど、軍隊の教官…」
「道理で、坂下さんや松原さんが、まるで手が出ないわけね…」
「綾香さんでもだめだなんて…私、あの人たちがなんだか怖くなってきたわ」
「私も。伏見さんと鳥羽さん、怖い」
 ざわめきは、しばらくやまなかった。

 翌日。
 校内は最悪の雰囲気に包まれていた。
 丁寧にメモを取っている伏見に、カメラを構えている鳥羽に、誰も近寄ろうとしない。
 廊下を歩けば、みんな教室に引っ込んでしまう。
 みんなが、伏見と鳥羽のことをあからさまに避けている。
 二人を恐れているのだ。そして、失望したのだ。
 元軍人であることを鼻にかけて、高校生をおもちゃ扱いしていることを。
 二人がそのつもりがなくても、みんなにはそうとしか取れない。
 女子生徒のアイドルはあっという間に恐怖の存在となった。
 英雄のイメージはメチャクチャにぶち壊され、人気は冷えきってしまった。
 その重苦しい雰囲気が晴れないまま、放課後になった。
「私、ちょっとがっかりしちゃった」
 いつものように試合場の空手道場に向かいながら、あかりがつぶやいた。
 それに浩之が怪訝な顔をする。
「いくらなんでもやりすぎだと思うよ。伏見さんも鳥羽さんも、ホントはあんな人だったなんて。あんまりだよ、ひどすぎるよ」
「俺はそうは思わないな」
「…?」
「だったらあの時、マルチに見せた優しさは何だったんだ?俺はあの優しさは嘘じゃないと思う」
「……」
 あかりは返事に詰まった。
「バカにされたから仕返ししてるって思ってんだろ?でもホントに仕返しだったら、あんなもんじゃすまないはずだ。それこそとっくの昔にボコボコにしてるんじゃないか、病院行きになるくらいに。でも全然手を出さないのはなぜだと思う?」
「それは…手加減してあげてるから?」
「それもあるけど…伏見さんと鳥羽さん、綾香たちにチャンスをあげてるんじゃないか?」
「チャンス?」
「これは予想だけどさ、少しでも勝てる可能性を作ってやったんじゃないか。俺が綾香と勝負した時、綾香はボクシング形式の勝負にして、俺に可能性を作ってくれたし。何か、そんな気がするんだよな」
 浩之の自説を、どうも釈然としないといった表情であかりは聞いていた。

 試合場へ向かって歩く伏見と鳥羽の周りには誰もいない。
 二人の姿を見るや、生徒たちはみんな逃げていってしまう。
「思った通りになったな」
「ああ。これもほんのちょっとの辛抱だ」
 伏見に鳥羽が相づちを打つ。
「恨むなら恨んでいい。これを乗り越えないと花は咲かないんだ」
「三人とも、冬を知らなすぎるからな」
「そうだよな。冬を味わってるのはあの三人だけじゃない」
「ジェニファーとエレナが、今…」
 二人の恋人たちが味わっている『冬』とは、果たして何なのか。
 それを知っているのは、当然だが伏見と鳥羽だけだ。


 その『冬を知らなすぎる』三人は、その頃…。

「松原、がんばれよ!」
「がんばってね、葵なら勝てるよ!」
 クラスメイトがかける応援の声を、葵は上の空で聞いていた。
「ねえ、葵、聞いてるの?」
「え…あ、ごめん!うん、がんばるね!」
 念を押されて我に返った葵は、いかにも見え見えのわざとらしい笑顔であわてて返事を返した。
 

 好恵が教室を出ようとしたとき、忘れ物を取りにあわてて戻ってきた理緒とぶつかった。
「きゃっ!」
 衝撃で大きくよろけたのは理緒の方だ。
「ご、ごめんなさい!坂下さん!」
 理緒は反射的に頭を下げる。
「…あ、別に…いい…」
 好恵は力の入っていない返事を返した。
「あ、そ、そうだ、坂下さん、これから試合なんでしょ?私はこれからバイトだから応援に行けないけど、がんばってね!」
 理緒の不器用な檄に対して好恵は無言でうなずくと、そのまま立ち去ってしまった。

「綾香様…綾香様!」
 長瀬のちょっと強めの声で、綾香は我に返った。
「な、何よ?」
「もう着きましたぞ」
 車は校門前に停まっていた。
 帰宅する生徒たちは、この場違いな高級外車を珍しがる様子もなく、一瞥して通り過ぎていく。
 あまりしょっちゅう来るので、もう慣れっこなのだろう。
「私は所用がありますので、一旦屋敷の方へ戻りますが、よろしいですな?」
「うん…じゃ、また後で…」
 力のない返事をして、綾香は車を降りた。

 葵、好恵、そして綾香。
 三人が三人とも、一様に生気のない表情で試合場へと向かっていた。
 この三人が試合前にこんな表情をすることなど、今までにはなかった。
 あがり症を克服したはずの葵が、今度は別の感情に押しつぶされそうになっていた。
 常に闘志をたぎらせている好恵の目が、今日は死んだようにうつろになっていた。
 いつも勝つ自信と確信に満ちあふれ、見えないオーラで周囲を圧倒し続けてきた綾香から、今日はそのオーラがまるで感じられなかった。
 不安。恐怖。
 さながら、死刑台に向かう囚人のような。
 そう簡単に、アリが象をひっくり返せるわけがないのだ。
 どうすればいい?
 恐ろしい。
 逃げ出したい。
 あの二人はなぜここまで、自分たちを苦しめるのだ。

 伏見と鳥羽はなぜここまでするのか? 
 三人の少女に、奇跡の復活はあるのか?
 それは次回で。

 つづく

 あとがき

 今回は、伏見と鳥羽の秘密大公開になってしまいました。
 そのせいか、前回のあとがきで「さらに出す」と書いた格闘シーンがろくに出ていません。
 次回こそもっと出そうと思っています。


戻る inserted by FC2 system