続・きせきみるもの

原稿15・卒業式・ラブレター・きせきみるもののたびだち
〜それぞれの道はいつか一つの道へ〜
 
 あれから、夏休み、体育祭、文化祭とあっという間に時は過ぎていった。
 その間、伏見と鳥羽は、生徒たちを時には励ましたり、時にはいさめたりと、それでも教師以上に親しみやすい存在であり続けた。

 格闘技同好会は、精力的に活動を続けている。
 浩之と葵の二人だった部員は、四人になっていた。
 あの試合の後、新しい部員が入ったのだ。
「感動しました」
「私たちを入れて下さい」
 一年生の女子二人だった。しかも葵と同じクラスで、仲が良い友人だった。
 彼女たちは全くの素人だったが、それでも楽しそうに練習をしている。
 葵のエクストリーム大会出場はまだ先のことだが、それでも元気いっぱいだ。
 浩之は、葵のサポートを喜々として勤めている。もちろん、あかりも一緒だ。

 好恵がその後、空手部に葵を誘いに来ることはなかった。
 同級生からの嫌がらせはしばらく続いたが、好恵は一切反応しなかった。
 そのうち、嫌がらせは誰もしなくなった。
 

 あれ以来、綾香はすっかりおとなしくなった、とは言えないまでも、謙虚さが身に付いた。
 休学して山ごもりの最中、伏見宛に書いた手紙にそれが現れている。

 ……今、私は山奥にある別荘にいます。
 周りにはセリオも、使用人もいません。私一人だけです。
 私は私の格闘技を見つめ直すために、一人で修行をやり直しています。
 今時山ごもりか、と笑われるかもしれないけれど、今はこれしか私にはできないからするだけです。
 あの時コテンパンにやられて、私は初めて自分の思い上がりに気が付きました。
 そして、弱い者の気持ち、やられる悔しさというものを心底思い知らされました。
 もしあの時お二人に出会っていなかったら、いつか取り返しのつかないことになっていたでしょう。
 祖父からは、これまでにした狼藉の罰として次の大会の出場をストップさせられてしまいました。
 でも、これで良かったんです。このまま出場しても、仮に優勝しても何も満たされないままに違いありませんから。
 話は変わりますが、一つ伏見さんと鳥羽さんにお詫びの告白をしなければなりません。
 実は、セリオを使って伏見さんと鳥羽さんのデータを探らせていました。
 しかしわかったことは経歴だけで、格闘技に関するデータが全く見つかりませんでした。
 実はそれは、祖父が私達がそうするのを見越して、部下に命じてその部分のデータを消させたとのことでした。
 祖父いわく「お前のことだからそうするだろうと思って手を打って置いたんだ。ズルは許さんぞ」。その通りなだけに、何も言えませんでした。
 最後に、数々のご無礼をしてしまったことを謝ります。
 ごめんなさい。
 それから、ありがとうございました。
 
 来栖川綾香

 綾香は一週間の山ごもりを終えて復学した後、再び格闘技同好会のコーチ役になった。
 まるで呪いが解けたかのように、浩之や葵の前では格闘技が強いことを除けば、普通の明るい女子高生に戻っていた。
 やっと、常にチャンピオンでなければならないというしがらみから抜け出せたのかもしれない。
「いいわよ、その調子。…うーん、もう少し脇を締めればいいかしら?」
「こ、こうか?」
「そうそう、やるじゃん浩之」
 やがて、練習は終わった。
「綾香、お前変わったな。今までよりずっといい方に」
「そう?えへ、なんかうれしいな…」
 綾香は照れ笑いをした。

 そして、あっという間に時は流れて…。
 伏見と鳥羽が、全ての仕事を終えて学校を去ってから早三か月が過ぎた。
 年は明け、季節は冬から春へと変わった。
 伏見と鳥羽は、忙しい合間をぬって、大学の卒業を決定していた。
 後は、卒業式を待つだけだ。

 今年は桜の開花が早いようだ。
 すでに道路脇の桜並木は、5分咲きになっている。 
 正装した伏見と鳥羽は、久しぶりに仕事場だった学校の門をくぐった。
 今日はここの卒業式だ。
 二人は客として招かれてやってきたのだ。
「あー、伏見さん、鳥羽さん久しぶり!」
 一番に声をかけてきたのは、浩之だった。
「お、藤田くん、しばらく!」
 伏見が応える。続いて鳥羽が、
「みんな元気か?」
「うん、元気だよ!綾香も、坂下も、もちろん葵ちゃんも。でも芹香先輩は…ちょっぴり寂しそうだったかな」
「あ、そうか、今日でこの学校ともお別れだもんね」
 伏見が相づちを打つ。
「でもいいよなあ、先輩、大学に推薦入学で受験勉強する必要なかったもんな。まあ、先輩はいつも成績トップクラスだったし、当然って言えば当然か」
 浩之の言葉にうなづきながら、伏見は腕時計に目をやった。
「あ、時間だ。…それじゃ、先生方に挨拶があるから、また後で」
 二人は浩之たちと別れた。
「……くくく、楽しみだな…」
 二人を見送った後、浩之は誰にも見えないように笑った。

 卒業式の式典は1時間と少しで終わった。文字通りのあっという間だ。
 卒業生退場の時も、泣いている生徒はそう多くはなかった。
 しかし…何かが引っかかる。
 もう卒業式は終わったはずなのに、撤収作業が始まらない。
 それどころか、来賓も誰も帰ろうとしない。
 その時だ。
「伏見さん、鳥羽さん、ちょっと…」
 席を立った浩之が声をかけてきた。

 伏見と鳥羽は、『控え室』と大きく書かれた教室に通された。
「じゃ、ちょっと準備があるんで、ここで待ってて!準備ができたら呼びに来るから!」
「準備?何の?」
 伏見の問いかけに答えず、浩之は走り去ってしまった。

 約10分が過ぎた。
 待てど暮らせど、誰も呼びに来ない。
 体育館の方から、何やらざわついている声が聞こえる。
「…、…!」
「……」
 …何だろう、一体?
 伏見と鳥羽はますます気になった。
 そのとき、廊下の方からも声がした。
「しょうがねえだろ、もうこれ以上待たせるわけにいかねえよ!」
「でも…あっ、聞こえちゃうよ!」
「おっといけね!」
 浩之とあかりの声だ。
「藤田くん?神岸さん?」
 伏見が呼びかけると同時に、ノックの音がした。
「どうぞ」
 伏見が返事をすると、二人が大きな袋を抱えて控え室に入ってきた。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「悪いけど、この服に着替えてくれないかな?」
 二人が袋から出して伏見と鳥羽に差し出した服、それは…
「…!」
「これって!」
 かつて着ていた、米軍の士官服だ。
 もっとも自分が着ていたものではないが、帽子も階級章もついている。
「どうして…?」
 鳥羽が聞いた。
「訳はすぐわかるよ」
「すみません、お願いします。じゃあ外に出てますから、着替え終わったら呼んで下さい」
 それだけ言うと、浩之とあかりは控え室を出て行ってしまった。
「何なんだ、一体?」
「さあ?」
 伏見と鳥羽はわけがわからないまま、控え室のカーテンを閉め、渡された士官服に着替え始めた。

 着替え終わった二人は、浩之とあかりに先導されて体育館に戻った。
「じゃあ、ここに立って下さい」
 あかりに促され、伏見と鳥羽はドアの前に立った。
 あたりは、水を打ったような静けさだ。
 それなのに、たくさんの人の気配がする。
「卒業生、入場!!」
 ドアの向こうで声がした。
 …一体何なんだろう? 
 伏見がそう思うか思わないかのうちに、横開きのドアが開いた。
 と同時に、割れんばかりの拍手が二人を包んだ。
 二人の目の前に見えるのは、人、人、人、また人…在校生、教師陣、来賓、それに退場したはずの卒業生全員が勢揃いしている。
 さすがの二人も、訳がわからず唖然としている。
「どう?驚いたでしょ?」
 横から浩之が声をかける。
 いかにも得意げな笑顔だ。
「どういうことなの、これ?」
 伏見が問う。
「実は、みんなでお世話になったお礼がしたくて。それで、伏見さんと鳥羽さんの卒業式をやろうってわけ。ちなみにアイデアは俺だからね」
「何よ、あんたは言い出しっぺなだけでしょ?細かいアイデアはほとんどあたしが出したんだから」
 志保が話に割り込んできた。
「何だと?お前のアイデアなんか、カラオケ大会とか、ミスコンとかしょーもないやつばっかで、ほとんどボツじゃねえか。大半の使えるアイデアは俺が出したんだぞ」
「使える使えないじゃなくて、大事なのは出した数でしょ!」
「まあまあ、二人とも…しかし、これは予想外だったなあ」
 伏見は二人をなだめつつ、苦笑いをする。
「俺もそう思うよ。ほんと、まいっちゃったよ」
 鳥羽もそうだった。
「やったあ!初めて伏見さんと鳥羽さんに勝ったわ!」
「志保、お祝いに勝ち負けなんかないよ」
 無邪気に喜ぶ志保を、あかりが笑っていさめた。
「あ、う…そうだけど…でも…」
 志保は言葉に詰まる。
「まあ、とにかくさあ」
 浩之はさらっと流して、話を続ける。
「初めは俺たちだけでやろうと思ってたんだけど、いつの間にかどんどんやりたい、やりたいって奴が多くなっちゃって、何と先生たちも乗っちゃってさ」
「そうそう、校長先生までもがやろうって言ってくれたんですよ」
 あかりが付け加えた。
「で、結局全員参加ってなったわけ」
「そうそう。で、しっかりあたしも参加してたりして」
 浩之の横から、綾香がにゅっと顔を出した。横にセリオもいる。
「その制服、綾香が用意してくれたんだよ」
「うん。あたし、アメリカにいたことがあったんだけど、その時の知り合いに伝手があって、その制服、貸してもらえたのよ」
 二人の言葉を上の空で、伏見と鳥羽は聞いていた。
 驚きと感激で声も出ないのだ。
「さあ、伏見さん、鳥羽さん…みんな待ってるよ」
「え、あ…」
「うん…」
 浩之に促され、二人は拍手の中を歩き出した。

 
「これより、伏見清隆、鳥羽光良両名の卒業証書授与式を始めます」
 校長が告げた開式の言葉が、静まり返った体育館に響く。
「卒業証書、授与!」
 続いて、進行役の教師の声が響いた。
「卒業生、起立!!」
 伏見と鳥羽が号令に応じ、スックと立ち上がった。
 二人は壇に向かって歩いてゆく。
 その動きには、何者も寄せ付けない威厳があった。
 そう、本物だけが持つ、本物の威厳だ。
 壇上に上がり、直立不動の姿勢で、二人は校長の前に立つ。
 鋭く目を光らせた表情、すなわち、軍の上官の前に立つ時の表情を崩さない。
「卒業証書、伏見清隆!右の者は本校の全課程を修了し、卒業したことをここに証する!」
 校長は証書の内容をよどみなく読み上げた。
「おめでとう!」
「ありがとうございます!!」
 伏見は証書を受け取り、表情を少し緩めて、敬礼をした。
 それと同時に、拍手が館内に鳴り響く。
「卒業証書、鳥羽光良!以下、同文!…おめでとう!」
「ありがとうございます!!」
 続いて鳥羽が証書を受け取り、敬礼をした。
 再び拍手が鳴り響く。
 二人は2、3歩後ずさり、再び敬礼をした。
 さっきよりも大きい拍手が二人に贈られた。

 続いて、在校生による送辞、卒業生による答辞だ。
「在校生、送辞!在校生代表、藤田浩之!」
「はい!」
 名前を呼ばれ、浩之が立ち上がった。
 浩之は早足で壇上に上がり、一礼をした後、送辞を書いた紙を広げた。
「在校生、送辞!…伏見さん、鳥羽さん。卒業おめでとうございます」
 良く通る声で、浩之は送辞を読み上げ始めた。
「お二人は時には優しく、時には厳しく僕たちを見てくれました。でも、どんなに厳しいことを言われても、不思議と反感はわきませんでした。それは、伏見さんと鳥羽さんが心から僕たちのことを思って言ってくれたことだからだと思います」
 一旦区切って、さらに続ける。
「僕は伏見さんと鳥羽さんは、先生であり、先輩であり、そして兄貴分だと思います。先生であるということは、単に軍の教官だったからではありません。本当の強さ、自分が人にするべきことを教えてくれたのは、お二人だからです。お二人が僕たちのことを見てくれなかったら、僕たちは本当に、どうなっていたかわかりません。先輩であり、兄貴分ということ、それはお二人は、先生や事務員さん以外のこの学校にいる大人ですが、その中で僕たちに一番近い存在だったからです。言葉は悪いですが、ちっとも偉そうな感じがしないから、気軽に話せて、気軽に接せられる、それが伏見さんと鳥羽さんでした」
 もう一度区切って、締めの言葉を言う。
「お二人は僕たちより一足先に、社会へと出て行かれるわけですが、軍隊時代に培った精神で、どんな事も乗り越えてゆかれることと思います。…最後に、伏見さんと鳥羽さんに会えて良かったと心から思います。お二人のことは、決して忘れません。本当にありがとうございました。…在校生代表、藤田浩之!」
 送辞を終えて浩之は一礼した。
 体育館内が温かい拍手に包まれる。 
 伏見と鳥羽も、盛んに拍手を送っていた。

 続いて、卒業生の答辞だ。
「卒業生、答辞!卒業生代表、伏見清隆!」
「はい!!」
 伏見が返事をして立ち上がる。
「あんまり堅苦しくなくていいですからね、答辞というよりは、スピーチでけっこうですから」
 教師が寄ってきて、耳打ちをした。

 壇上に立った伏見は、深々と礼をした。
「皆さん、今日は私たちのために卒業式をやって下さり、本当にありがとうございます」
 挨拶の後、館内に拍手が響いた。
「皆さんも知っての通り、私と鳥羽は外国の軍隊で教官をやっていました。大学を中退して、渡米して軍に入りました。そして、除隊した後帰国して、大学に復学し、このたび卒業となりました。大学の卒業式の前にまさか今日、卒業式に出るとは、もう計算外でうれし、こそばゆしです」
 一同はドッと笑った。
「さて、私がなぜ軍隊に入ったか、長くなりますが、それをお話ししたいと思います」
 今度は一同、しんとなる。
「ご存知の通り、私にはジェニファー・マッケンローという彼女がいます。鳥羽には、エレナ・ヘンダーソンという彼女がいます。アメリカから留学生としてやってきた彼女たちとは、大学に入った直後に知り合いました。そして、すぐに付き合い始めました」
 一息置いて、伏見は言った。
「今、彼女たちは日本にいません。では、どこにいるかと言うと…」
 これまた一息置いて、
「皆さんもよく知っている、あの近くて遠い国です」
 その言葉に、一同はざわめきだした。
「ほんの10日間、ボランティア活動で行ってくる予定でした。それが、アメリカ人というだけで、未だに二人は帰れない身です。あそこでは、アメリカは『米帝』と呼ばれ嫌悪されています。それゆえ、二人は危険人物としてマークされてしまい、監視下に置かれてしまいました」
 ざわめきはさらに大きくなる。
「二人を取り戻そうと、いろいろ手を尽くしました。政府にも掛け合いましたが、取り合ってもらえませんでした。もう、自分たちにできることはないのか…そして、私と鳥羽は決意しました。自分の力でジェニファーとエレナを取り戻そうと。そのために自分を変えようと、大学を中退して渡米し、陸軍に入隊しました。日本人と言うだけで始めは白い目で見られましたが、私たちは他人と競うことはせず、ひたすら自分を鍛えました。くじけそうな時もありました。もう日本へ帰りたいと思ったこともありました。そんな時は、私はジェニファー、鳥羽はエレナを思い出しました。そして、入隊から一ヶ月ほどたったある日でした」

 伏見と鳥羽は教官の一人に呼ばれた。
「お前たちの成績は、この訓練所始まって以来の優秀なものだ。そこでだ、お前たちをSTC、Special Training Centerに入隊させたい、とのオファーが来ている」
 その言葉に、二人の顔色が変わった。
 STCの訓練がどんなに過酷なものかは、漏れ聞こえてくる噂で誰もが知るところである。
「どうする?もちろん無理にとは言わん。これはお前たちの自由意志に任せる」

「一瞬迷いましたが、私たちは入隊を志願しました。その一週間後、訓練所から空港に向かいました。目隠しをされ、耳栓をされて飛行機に乗って数時間。STCに到着したのは真夜中でした」
 心なしか、伏見の表情が暗くなる。
 あの日々、つらい訓練の日々を思い出したのだ。
「それからの半年間は地獄でした。詳しいことは言えませんが、地獄としか言いようがありませんでした。一週間、草と水だけで過ごすなんてザラでした。そして、厳しい実力主義で、規定のレベルに達しない者は次々と本人の意思に関係なく脱落していきました。ひとり、またひとりと親しくなった仲間がいなくなっていきました。やがて、初めて戦場へと立ちました。自分の方へと次々に銃弾が飛んできます。頭の中は真っ白でした。もう何がどうなったのか、全く記憶にありません。鳥羽に聞いても、やはり記憶がないと言いました」
 鳥羽は座席で、かすかに頷いていた。
「STCでは一年間残るか、それ相応の実力があると認められると準教官となり、新入隊員の担当をします。私と鳥羽も準教官になりました。そこで私達の担当をしていた教官に言われたことがありました」

「ここでの教官の役目はエリート軍人を育てることではない。戦場に立つ資格がない者に引導を渡すことだ」

「その言葉に従い私たちは、情け容赦なく新人たちを落としていきました。『なぜ脱落なんですか』と泣いて食い下がってもはねつけました。残してやりたい、そんな情にかられそうになりましたが、じっと耐えて帰らせました」
 客席はもう、水を打ったように静まり返っていた。
「そして、STCでの訓練が満了する日がやってきました。少尉の階級を与えられ、私たちは正式な教官となりました。そこでの教官をしばらく務めた後、米軍に戻り、教官になりました。そんなある日、私たちを訪ねてきた人がいました。誰だろうと思って会ってみると、使節団の一人としてあの国を訪れた時、なんとジェニファーとエレナに会ったというのです。”キヨタカ・フシミ”、”ミツヨシ・トバ”という日本人に会ったら渡して下さいと言われたそうです。私たちはその頃、米軍ではちょっとした顔でした。そのおかげで、私たちのところへ届いたのです。その人が出した、名刺くらいの大きさの紙切れには、たった一言ずつだけ書かれていました」

”きよたか あいしています”
”みつよし だいすきです”

「間違いなくそれは、ジェニファーとエレナの字でした。たったそれだけ書かれた紙切れを、一行だけのラブレターを握りながら、私たちは泣きました。二人は生きている。どこかにいる。それだけで、涙が止まりませんでした…」
 伏見は言葉を詰まらせかける。
 あの時を思い出して、感極まりかけたのだ。
 聴衆の中には、すでに泣いている者が多数いる。
 が、伏見は踏みとどまって再び話し始めた。
「…それから私たちはしばらく教官を務めた後、除隊して帰国し、大学に戻りました。それと同時に、今の仕事も始めました。これが私たちの、ここに来るまでの経緯です」
 再び、伏見はひと呼吸置く。
「私は教師でもなんでもありません。教官だったのも過去の話です。元軍人として言えることはありませんが、皆さんの人生の先輩としてなら、言えることがあります。決して、自分に負けないでほしいんです」
 葵、好恵、綾香がかすかに反応した。
「よく、途中であきらめてはいけないと言いますが、時にはあきらめることも、勇気ある撤退も必要かもしれない。でも、それは自分に負けたことにはなりません。勇気を出した上の決断なら、それは自分に負けたことにはなりません。自分に負けないこと、それが強さです。強さは誰にでもあるんです。ここにいるすべての人にあります。先生方にも、生徒の皆さんにもです。私たちにもあったから、あの苦しい訓練を耐え抜けたんです。」
 伏見はそこで一旦、言葉を切った。
「もう一つ、何でもいいからやりたいことを見つけて下さい。でも、急ぐことはありません。見つけるというより、見つかるものですから。それが見つかった時の自分がどんなに輝いているかを、考えてみて下さい。強さが誰にでもあるように、輝きも誰にでもあります。みんなが輝ける人であることを、私たちは信じています。人生の先輩として言ってあげられることはこれだけです」
 3、4秒間を置いて、
「長くなりましたが、以上で答辞を終わります。皆さん、ありがとうございました」
 伏見はゆっくりと、かつ深々と一礼した。
 そして、ゆっくりと頭を上げようとしたその時…
 パチッ、パチッ、と早めの柏手のような音が聞こえた。
 その音は徐々に大きくなり、比例して速くなる。
 それと同時に、ガチャッ、ガチャッという席を立つ音も聞こえる。
 伏見が顔を完全に上げ終わるか終わらないか、その時、
「!!」
 伏見の目に飛び込んできたもの、それは総立ちになって拍手をする聴衆たちだった。
 伏見の耳に飛び込んできたもの、それは窓ガラスにヒビが入るほどの拍手の音だった。
「あ、あれ見ろよ…」
 拍手をしながら、浩之があかりに言う。
「伏見さんが…あ、鳥羽さんも…」
 信じられなかった。
 涙だ。
 壇上にいる伏見の目から、座席にいる鳥羽の目から、涙がこぼれている。
 鬼教官が、泣いている。
 無敵の強さを誇った二人が、泣いている。
「ちょ、ちょっと…伏見さん…に鳥羽さん…たら…やめ…てよ…あたし…まで…ううっ」
 志保はもう、言葉にならない。
 あかりはスピーチの時からすでに泣いていたが、もう言葉すら発することができない。
 女子生徒はほぼ全員泣いていた。
 智子が、レミィが、理緒が、琴音が、葵が、綾香が、芹香が、好恵が、マルチが、セリオが泣いている。
 男子生徒の中にも、泣いている者は少なくない。
 浩之も、雅史もそうだった。
 伏見が壇を降りても、拍手はしばらく鳴り止まなかった。

「以上を持ちまして、卒業証書授与式を終了いたします」
 もう一つの卒業式が、終わろうとしている。
 だが、何やら二、三名の教師たちがひそひそ話していた。
「二人、やりますかね?あれ」
「やるでしょうよ、元軍人だし、何と言ってもそのための『アイテム』はあるんですから」
「でしょうね。…あ、静かに静かに」
 校長がマイクを握ったのを見て、教師たちは話をやめた。
「卒業生、起立!」
 号令を受け、伏見と鳥羽は立ち上がる。
「………卒業、おめでとう!!」
 校長が言い終わった次の瞬間、
「イェーーーーーーーーーーイ!!!」
 二人は雄叫びとともにかぶっていた帽子を投げ上げた。
 士官学校や日本の防衛大学校の卒業式での恒例行事、『帽子投げ』だ。
 天高く舞い上がった帽子は、屋根をかすめて落下していった。
 体育館内は、嵐のような歓声に包まれた。

 二つの卒業式が終わった。
 教職員や来賓、ほとんどの生徒が退場し、体育館には浩之とその友人たち、そして伏見と鳥羽だけが残っていた。
 みんなは二人を囲んで、いろいろと話している。
「やっぱり伏見さんたちにはかないませんでしたね。全然かすりもできなかったし。たった五日で奇跡なんて起きるわけないですよね」
 葵が寂しそうに笑いながら言う。しかし伏見は、
「起きたじゃないか」
 葵は「?」という表情になった。
「君たちのがんばる姿が、人が変わるきっかけを作ったじゃないか」
「…」
「二人も部員が増えたんだろ?それは君たちのがんばりがなかったらなかったはずだよ」
「そうだよ。彼女たちは自分を変えられたんだから。ね、そうでしょ?これは小さくても奇跡じゃないかな」
 伏見の言葉を引き継いだ鳥羽に言われて、い合わせていた新入部員たちは頬を染めた。
 その一方で葵は、目を潤ませていた。
「伏見さん…鳥羽さん…」
 割り込むように綾香が言う。
「お二人に受けたご恩は決して忘れません。ありがとうございました、伏見さん、鳥羽さん…いや、先生!!」
 綾香がいつになく真剣な表情で頭を下げた。
「先生?」
「はい、伏見さんと鳥羽さんは私たちの先生です!」
 続いて葵と好恵が、
「いつか言われた『ケンカするだけの強さがあるなら、自分自身と戦え』という言葉、決して忘れません。先生、ありがとうございました!!」
「ありがとうございました、伏見先生、鳥羽先生!!」
 そろって頭を下げた。
「先生、か…マスター(教官)って呼ばれたことはあるけど、先生なんて呼ばれるのは初めてだなあ。鳥羽、お前あるか?」
「俺もない」
 伏見に聞かれ、鳥羽は首を振った。
「先生たちこそ、本当の格闘家です!」
 葵が熱っぽく言うのを聞いて、伏見と鳥羽は苦笑いをした。
「だから言ったじゃないか、俺は格闘家じゃないって」
「それに先生、はよしてくれ。照れくさいよ」
 そこへ、志保が歩み出た。
「伏見さん、鳥羽さん。ごめんなさい。それから、ありがとうございました」
 頭を下げて言う。
「君も、前とずいぶん変わったんじゃないかな」
「うん。雰囲気から見て取れるよ。成長したね」
 それを聞いて、今度は志保が照れた。
「もう、そんなにストレートに言われたら恥ずかしいですよ…そうだ、いいこと考えた!」
 突然、変なことを言い出した。
「伏見さん、鳥羽さん、最後の思い出作りに、ゲームをしましょう!」
「ゲーム?」
 伏見が聞き返す。
「題して、『卒業記念!伏見さんと鳥羽さんを探せ!』」
「なんだそりゃ?」
 いぶかしげに浩之が聞いた。
「校舎内のどこかに、伏見さんと鳥羽さんが隠れるの!それをあたしたちが探すってわけ!」
「なんだ、かくれんぼか」
 浩之は呆れたように言う。
「ただのかくれんぼじゃないわよ、何せいくら探す方の人数が多いからって伏見さんと鳥羽さんは元・軍の教官、見つけるのは大変でしょうねぇ。でも、だからこそ面白いってわけ。で、もし一時間以内にあたしたちが見つけられたら、二人にヤックを全員におごってもらうってのはどう?」
「伏見さんや鳥羽さんにまでたかるな!」
 浩之の突っ込みを、志保は無視して続ける。
「もし逃げ切れたら、あたしたちがおごるってことで。もちろん払うのはヒロね」
「ちょっと待て、勝手に決めるな!」
「あら、面白そうじゃない」
「ほら、綾香さんもそう言ってるわよ。ね、いいでしょ?伏見さん、鳥羽さん?」
 それを聞いた二人は顔を見合わせて、意味ありげにニタッと笑った。
「うーん、まいったなあ…」
「見つかったらおごりかあ…」
 思い切りわざとらしく言いながら、伏見が目で浩之と綾香に合図する。そして、
「ん?長岡さん、誰か来たみたい」
 向こうを指差して言った。
「え?」
 志保が向こうを向いたその時、
「一人でやれっ!」
 ドンッ!
「図に乗らないの!」
 浩之と綾香は志保の尻にキックを入れた。
「わっ!」
 蹴飛ばされて、志保はゴロリと転がった。
「うう…やったわねー!!」
 みんなの方に向き直った志保が怒りだした瞬間、あたりは爆笑の渦となった。
「ははは、いい薬だぜ、志保!」
「パンツ見えたわよ〜!」
 笑い声は、しばらくやまなかった。

 とうとう別れの時がやってきた。
 浩之たちは伏見と鳥羽を駅まで見送りにやってきた。
 あたりには、大学の卒業生なのだろうか、スーツや袴姿の乗客がたくさんいる。
 中には、所構わず万歳をしている者もいる。
「それじゃ、みんな。今日はありがとう」
「ホントにありがとう。またいつか会おうな」
 乗り込んだ電車のドアのところで、伏見と鳥羽はみんなに言った。
「ドアが閉まります、ご注意ください」
 そのアナウンスの直後、ドアは空気音と共に閉まった。
「伏見さーん、鳥羽さーん!!」
「さようならー!!」
「また来てねー!!」
 走り出した列車を、みんなはホームの端まで追いかけた。
 伏見と鳥羽は列車内から手を降り続けた。
 そのうち、みんなの姿はだんだん小さくなり、やがて二人の視界から消えていった。
 …さようなら、みんな!
 …また会おうな!
 伏見と鳥羽を乗せた電車は、スピードを上げて夕暮れの中へ消えていった。
 日は、もう今にも沈みかけていた。

 大学の卒業式も終わり、伏見はそのままフリーライター、鳥羽はカメラマンの仕事を続けることにした。
 さて、大学を卒業してから1ヶ月半ほどたったある日のことだ。
 伏見は、とある北の街を歩いていた。
 もうあたりはすっかり春となり、一月半前まで残っていたのが嘘のように雪は消えていた。
 歩きながら、今頃鳥羽はどうしているだろうと思った。
 精力的に仕事をこなしているのだろうか。
 熱心な鳥羽のことだ、きっとそうに違いない。
 この街に行く前に、「もしかしたら、そっち行くかもしれないのでその時はよろしく」と言われていた。
 また一緒に仕事ができたらいいな、そんなことを考えているうち、とある家の前で伏見は足を止めた。
 …ここか…これから三ヶ月、俺の家になるところは…
 表札には『水瀬』と書かれている。
 二階建ての、なかなか立派な家だ。 
 ある伝手から、ここを下宿先として紹介してもらったのだ。
 何でも、高校生の男の子と女の子が一人ずつ、保育所でアルバイトをしている女の子がいるとのことだった。
 …俺はその子たちの、兄代わりになるってわけか…どんな子たちなんだろう…
 そう思いつつ、伏見はインターホンのベルを押した。
「はーい!」
「ごめん下さい、今日から下宿させていただくことになりました、伏見清隆です」
「まあ、伏見さんですか。お待ちしておりましたわ。すぐ出ますので、少々お待ちください」
 この家の、母親らしき人物が応答した。
 それから1分ほどして、ドアが開いた。

 いつか大事な人と出会うために、それぞれの道を歩き出した伏見清隆と鳥羽光良。
 これからは互いにしばらく回り道をすることになるが、いつかまた二人で一つの道へ戻るだろう。
 そしていつか、その先で待つ人の元へ…。
 今の安らぎの日々は、いずれ来るその日までの休暇に過ぎない。
 だが、その休暇の中で彼らは、大小さまざまな奇跡を見ることになる。
 彼らが見る奇跡とは、果たして何なのか?
 それは次回で。


「はじめまして、お世話になります。伏見清隆です」


『きせきみるもの』原稿1へつづく

あとがき

足掛け一年半、To Heart編がやっと完結となりました。
一話完結型の前回と違い、今回は連続でした。
賛否両論、いろいろな声を戴きましたが、なんとか終われて良かったです。
次回はAIR編を予定しています。
でも、まだプレイの途中です。


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